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2011.04/23 [Sat]
*まる猫の小さなつぶやき 思い出編 その1
まるです。ずいぶんと姉が私のことを怒りん坊だと一方的に書いていますが、私にも言い分があるので、今日は存分に書かせてもらいます。
私が怒りだしたのは、けっこう小さな時からだと思うの。私の生い立ちからまずは書きますね。私はお墓で生まれ育ちました。昔ながらのお寺がいくつか集まっていて、そこにお墓があるの。広いお庭もあり、車も通らない静かなところなので、この辺りは私たちネコ族が支配しています。今でも私の遠縁はここに住んでいます。中にはネコ族の誇りを捨ててイエネコになった子もいるらしいけど、ここの出身だというのはその器量よしと女子が多いこと赤さび柄や三毛が多いことからも、すぐにわかります。私はこのヤマネコのような誇り高い赤さび柄が自慢です。部族を絶やさずに綿々と穏やかな性格をこの地で継承しています。
そうなの、私はこの穏やかな地で捕まえられ、姉の家に連れてこられました。それまで、ニンゲンは遠目でしか見たことがなく、お墓参りに来る静かな黒い服を着た人々くらいでした。私たちに悪さする人もいなかったし、関わりもなかったの。近くの人がご飯を運んできてくれたけど、それもお墓だから、すぐに帰ってしまい、人が帰ったあとに、私たちはお寺の縁の下から出て来て、食べ物くわえて、すぐに縁の下に隠れていました。カラスがね、ちょっとこわかったから。いつも縁の下やエアコンの室外機の陰に隠れて暮らしていました。縁の下は普通の家より高くて広いのよ。兄や姉と遊ぶのが楽しくて、毎日お母さんに怒られるまでとっくみあって遊んでいました。こうみえてもけっこうすばっしこいんだ。
あるとき、ペンキ職人さんが来て、わたしたち子猫を追いかけました。虫網で追いかけ、お寺の縁の下に逃げたんだけど、普通の家より高さがあるから、捕まってしまって。。。私は兄弟の中で一番の末っ子。すばしっこいけど、お兄ちゃんやお姉ちゃんみたいには早く逃げられなかったの。小さくてやせてて、隅に追い詰められた時、もうだめだと覚悟しました。本当に悲しかったし、こわかった。思い出すだけでも震えて来ます。ペンキ職人さんのあのシャカシャカいうパンツの音が今でも思い出され、紙やスーパー袋の音きくとパニックになることがあります。
捕まった時、人とどう関わればいいかわからず、でもお母さんから教わった誇り高いヤマネコ祖先を思い出し、見苦しいことはしませんでした。見苦しいというのは、、、たとえば、リバースしちゃうとか、極度にこわがっているところを見せるとか、泣きわめくとか。でもペンキ職人さんは意外にも優しく私を扱ってくれました。首根っこもつなんて失礼なことはしなくて、網にひっかかった爪をそっとはずしてくれました。そして、すぐ近くのご飯をもってきてくれる人の家に連れて行き、暖かい部屋でけっこう大きなカゴのお部屋を私専用に用意してくれ、ご飯もいつもより多めにくれました。翌日は獣医さんというところで虫下しのお薬をもらいました。獣医さんも優しかったんだけど、看護婦さんたちがね、キャーキャア言って私をなでまわしました。半分うれしくて半分迷惑だった。そのあと3日ほど経ってから、ご飯をくれる人が姉の家に私をカゴのお部屋ごと連れていきました。
あちこちで人間に出会って、意外と怖くないものだと思いながらも毎日違う人に会うので、少し人いきれしていました。姉はお母さんと妹といっしょに住んでいて、私を見るなり、「まるちゃん!!いらっしゃい」って言いました。「えっ?私にもう名前があるの?」会ったこともないのにもう名前があることに少し驚きました。あとで聞いた話ですが、私が行く半年前にワラビ君という長寿猫が20歳で亡くなって、キャットロス症候群になっていて、次の猫の名前は「まる」ってずいぶん前に決めていたんですって。だから誰でもよかったんだよね~とたまに思います。姉たちがキャットロス症候群になってしまったので、「まる」がほしいからと獣医さんに相談したところ、ご飯をもってきてくれる里親さんが、ペンキ職人さんに頼んだそうです。姉たちはすでにどこかに保護されている猫がいるものだと思っていたのに、これから捕まえます、って獣医さんが言うものだからびっくりしたそうです。獣医さんに聞かれたらしいけど姉たちはどんな柄とか何も条件もつけず、ただ「まるちゃんお願いします」って言ったんだそうです。それってちょっとうれしいけどちょっとおかしな人たちだね。
そんな風に待っていてくれたから、姉もお母さんも妹もそれはそれは喜んでくれて、キャアキャアたいへんでした。これって半分うれしいけど半分は迷惑なんだなあ。すぐにカゴから出してくれたので居間を見回りました。それで、少し寒かったから姉の横にぴたっと身体くっつけて座ったら、またキャアキャア喜ぶの。借りて来た猫っていうでしょう。最初はおとなしいのよ。だからゆっくりして動きの鈍そうな姉の横に貼りついていました。姉は私のことを「まんまるお目めのまるちゃん」とか「まるでミミズクかフクロウ」とか呼んでました。そのときはやせっぽちで肩幅が狭く、頭が大きく目が大きく、それはそれは美形で、生まれてちょうど2カ月くらいだったんだけど、手に乗る大きさだったから、標準よりか相当に小さかったようです。
夜はまだカゴのお部屋で過ごし、夜更けになると探検するために、柔らかい肩を使って、カゴの隙間から脱出します。朝になるとまた大騒ぎで、みんなで私を探すの。今では考えられないんだけど、1.5メートルくらいの高さの棚の奥がお気に入りで住所録が置いてある10センチ段の中で保護色になって隠れるのが好きでした。プリンセス天功って言われたけど、あのくらいの隙間ならカゴなんて簡単に脱出できるのよ。
そのあとは徐々に慣れ、活動範囲も広がり、3部屋くらい征服しました。何をやっても喜んでくれるの。猫っ可愛がりってこういうこと言うんでしょうね。猫族なら言われて当たり前のことだけどね。
カーテンレールにも登ったし、本棚の上も歩いたし、毎日探検、探検、探検。不思議なことに、お墓の故郷のこと忘れてしまったの。ここに来る前はもう11月だったから夜は寒くて、だからかもしれない。家の中って本当に暖かいもの。それに猫の兄弟のなかでは私が末っ子だったから、遊んでもすぐに負けちゃうし、遅かったんだけど、ここの人達って、すごくのっそりだから、私についてこれないの。私がこの家では一番になれるのよ。末っ子の小さな私よりも遅い人達をからかうのが楽しくて楽しくて、毎日姉を遊んであげてました。たまに姉の腕枕で寝たり、お布団に入ったり、たまにだけどね。好奇心いっぱいに健やかに育ちました。
あれあれ、なぜ怒っているか書こうと思っていたのに、ついつい思い出話になってしまいました。そろそろ姉がPC使う時間だと思うので、今日はこれくらいにしておきます。この続きはまた書きますね。どうして今の私があるのか。なぜ怒っているのか。人間と猫族はわかりあえるのかしら、永遠の問いですね。とにかくあの人たちが猫を知らなさすぎるのです。前のワラビ君と20年いっしょだったっていうけど、実際男子と女子じゃ全然違うしね。わかってないよねえ。
では、またね。 written by MARU
私が怒りだしたのは、けっこう小さな時からだと思うの。私の生い立ちからまずは書きますね。私はお墓で生まれ育ちました。昔ながらのお寺がいくつか集まっていて、そこにお墓があるの。広いお庭もあり、車も通らない静かなところなので、この辺りは私たちネコ族が支配しています。今でも私の遠縁はここに住んでいます。中にはネコ族の誇りを捨ててイエネコになった子もいるらしいけど、ここの出身だというのはその器量よしと女子が多いこと赤さび柄や三毛が多いことからも、すぐにわかります。私はこのヤマネコのような誇り高い赤さび柄が自慢です。部族を絶やさずに綿々と穏やかな性格をこの地で継承しています。
そうなの、私はこの穏やかな地で捕まえられ、姉の家に連れてこられました。それまで、ニンゲンは遠目でしか見たことがなく、お墓参りに来る静かな黒い服を着た人々くらいでした。私たちに悪さする人もいなかったし、関わりもなかったの。近くの人がご飯を運んできてくれたけど、それもお墓だから、すぐに帰ってしまい、人が帰ったあとに、私たちはお寺の縁の下から出て来て、食べ物くわえて、すぐに縁の下に隠れていました。カラスがね、ちょっとこわかったから。いつも縁の下やエアコンの室外機の陰に隠れて暮らしていました。縁の下は普通の家より高くて広いのよ。兄や姉と遊ぶのが楽しくて、毎日お母さんに怒られるまでとっくみあって遊んでいました。こうみえてもけっこうすばっしこいんだ。
あるとき、ペンキ職人さんが来て、わたしたち子猫を追いかけました。虫網で追いかけ、お寺の縁の下に逃げたんだけど、普通の家より高さがあるから、捕まってしまって。。。私は兄弟の中で一番の末っ子。すばしっこいけど、お兄ちゃんやお姉ちゃんみたいには早く逃げられなかったの。小さくてやせてて、隅に追い詰められた時、もうだめだと覚悟しました。本当に悲しかったし、こわかった。思い出すだけでも震えて来ます。ペンキ職人さんのあのシャカシャカいうパンツの音が今でも思い出され、紙やスーパー袋の音きくとパニックになることがあります。
捕まった時、人とどう関わればいいかわからず、でもお母さんから教わった誇り高いヤマネコ祖先を思い出し、見苦しいことはしませんでした。見苦しいというのは、、、たとえば、リバースしちゃうとか、極度にこわがっているところを見せるとか、泣きわめくとか。でもペンキ職人さんは意外にも優しく私を扱ってくれました。首根っこもつなんて失礼なことはしなくて、網にひっかかった爪をそっとはずしてくれました。そして、すぐ近くのご飯をもってきてくれる人の家に連れて行き、暖かい部屋でけっこう大きなカゴのお部屋を私専用に用意してくれ、ご飯もいつもより多めにくれました。翌日は獣医さんというところで虫下しのお薬をもらいました。獣医さんも優しかったんだけど、看護婦さんたちがね、キャーキャア言って私をなでまわしました。半分うれしくて半分迷惑だった。そのあと3日ほど経ってから、ご飯をくれる人が姉の家に私をカゴのお部屋ごと連れていきました。
あちこちで人間に出会って、意外と怖くないものだと思いながらも毎日違う人に会うので、少し人いきれしていました。姉はお母さんと妹といっしょに住んでいて、私を見るなり、「まるちゃん!!いらっしゃい」って言いました。「えっ?私にもう名前があるの?」会ったこともないのにもう名前があることに少し驚きました。あとで聞いた話ですが、私が行く半年前にワラビ君という長寿猫が20歳で亡くなって、キャットロス症候群になっていて、次の猫の名前は「まる」ってずいぶん前に決めていたんですって。だから誰でもよかったんだよね~とたまに思います。姉たちがキャットロス症候群になってしまったので、「まる」がほしいからと獣医さんに相談したところ、ご飯をもってきてくれる里親さんが、ペンキ職人さんに頼んだそうです。姉たちはすでにどこかに保護されている猫がいるものだと思っていたのに、これから捕まえます、って獣医さんが言うものだからびっくりしたそうです。獣医さんに聞かれたらしいけど姉たちはどんな柄とか何も条件もつけず、ただ「まるちゃんお願いします」って言ったんだそうです。それってちょっとうれしいけどちょっとおかしな人たちだね。
そんな風に待っていてくれたから、姉もお母さんも妹もそれはそれは喜んでくれて、キャアキャアたいへんでした。これって半分うれしいけど半分は迷惑なんだなあ。すぐにカゴから出してくれたので居間を見回りました。それで、少し寒かったから姉の横にぴたっと身体くっつけて座ったら、またキャアキャア喜ぶの。借りて来た猫っていうでしょう。最初はおとなしいのよ。だからゆっくりして動きの鈍そうな姉の横に貼りついていました。姉は私のことを「まんまるお目めのまるちゃん」とか「まるでミミズクかフクロウ」とか呼んでました。そのときはやせっぽちで肩幅が狭く、頭が大きく目が大きく、それはそれは美形で、生まれてちょうど2カ月くらいだったんだけど、手に乗る大きさだったから、標準よりか相当に小さかったようです。
夜はまだカゴのお部屋で過ごし、夜更けになると探検するために、柔らかい肩を使って、カゴの隙間から脱出します。朝になるとまた大騒ぎで、みんなで私を探すの。今では考えられないんだけど、1.5メートルくらいの高さの棚の奥がお気に入りで住所録が置いてある10センチ段の中で保護色になって隠れるのが好きでした。プリンセス天功って言われたけど、あのくらいの隙間ならカゴなんて簡単に脱出できるのよ。
そのあとは徐々に慣れ、活動範囲も広がり、3部屋くらい征服しました。何をやっても喜んでくれるの。猫っ可愛がりってこういうこと言うんでしょうね。猫族なら言われて当たり前のことだけどね。
カーテンレールにも登ったし、本棚の上も歩いたし、毎日探検、探検、探検。不思議なことに、お墓の故郷のこと忘れてしまったの。ここに来る前はもう11月だったから夜は寒くて、だからかもしれない。家の中って本当に暖かいもの。それに猫の兄弟のなかでは私が末っ子だったから、遊んでもすぐに負けちゃうし、遅かったんだけど、ここの人達って、すごくのっそりだから、私についてこれないの。私がこの家では一番になれるのよ。末っ子の小さな私よりも遅い人達をからかうのが楽しくて楽しくて、毎日姉を遊んであげてました。たまに姉の腕枕で寝たり、お布団に入ったり、たまにだけどね。好奇心いっぱいに健やかに育ちました。
あれあれ、なぜ怒っているか書こうと思っていたのに、ついつい思い出話になってしまいました。そろそろ姉がPC使う時間だと思うので、今日はこれくらいにしておきます。この続きはまた書きますね。どうして今の私があるのか。なぜ怒っているのか。人間と猫族はわかりあえるのかしら、永遠の問いですね。とにかくあの人たちが猫を知らなさすぎるのです。前のワラビ君と20年いっしょだったっていうけど、実際男子と女子じゃ全然違うしね。わかってないよねえ。
では、またね。 written by MARU
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